山野雄大
セントラル愛知交響楽団
東日本大震災から1週間後、筆者は凄まじい緊張感に満ちた東京を離れてセントラル愛知響の定期演奏会へ飛んだ。リハーサル開始前、直前に迫っていた《地方都市オーケストラフェスティバル2011》中止との決定が団員に伝えられた時の、重苦しい沈黙は忘れられない。震災発生から東京に戻れないままだった指揮の齊藤一郎も正に無念をかみ殺すように「残念ですけど、いつか必ずやりたいですね!やりますよ!」と己に約束するかのように繰り返した。……ソリストを2人ずつ要する委嘱新作2曲にバッハの創造的編曲を配した演目は昨年のフェスティバルでも屈指の冒険だった。バッハ/野平《ゴルトベルク》もこのコンビでこそ実現し得た成果だし、前半で新作を発表するふたりも、同団に意欲的な新作を書いた気鋭・木下正道、琵琶と管弦楽のための《光の扉へU》をはじめ楽団との関係も深い水野みか子(名古屋市立大学教授)。09年から常任指揮者に着任した齊藤一郎と楽団が誇る〈攻め〉の現在を凝縮した、正に勝負の3作だったのだ。楽団事務局にお話をうかがうと、やはり昨年の中止を作曲家や指揮者などに伝えた時の電話越しの声、行き場のない想いが今でも耳にこびりついているという。──そして、1年。「昨年中止を選択したからこそ、それ以上のものを!という気持ち」を強く意識している楽団は、齊藤との結束もより強めて、もちろん、あの3曲をもって今度こそ東京にやってきた。2年分の強い拍手でお迎えしよう。
★木下正道:《問いと炎II》〜リコーダー、チェロ、オーケストラのための〜
2009年9月、セントラル愛知響第101回定期(齊藤一郎指揮)で木下の新作《問いと炎》が初演された。詩人エドモン・ジャベスの言葉からタイトルをとった作品は3人の声明(独奏者)が問いかけとなりオーケストラに炎を灯す……という着想。今回の新作では逆のコンセプト、独奏者が炎となることを目論んでいる……とは作曲者談。以下自身の解題によれば、曲は3楽章から成り──第1楽章はオーケストラのみが荒涼とした凍てつく厳冬の大地のような光景を奏してゆく。第2楽章から独奏者が入り、自ら炎となって時間/空間を活性化してゆく。第3楽章は冒頭の極寒の音風景がより深い沈黙と共に回帰しはじめ、独奏者もろとも全てを消尽する残酷な静謐さの待つ空間へ。しかしそこには微かな春の兆しも……。
大変珍しい独奏楽器の組み合わせだが、現代音楽界で目覚ましい活躍を続ける俊英二人の「音が鋭く硬質で、身体性の奥深いところから圧倒的な存在感を示し、音楽の根源的な力を呼び覚ましてくれる」演奏を前提に選ばれた。ちなみにオーケストラは7群(2つの木管五重奏、1つの金管五重奏、2群の弦楽、五重奏[Hrn2, C-fg, Hp, Cel]に「時間の管理者としての」打楽器)から成り、ゆっくり渦巻く時間が広がる上でソリストが歌う。作品の後半では「逆に沈黙が渦を巻いてゆく」。
★水野みか子:《レオダマイア》
英国19世紀ロマン派の詩人ワーズワースの詩《レオダマイア》に基づく。戦で命を落とした勇者の死を嘆く妻レオダマイアの強い願いに神が応え、3時間だけ冥府から蘇った夫と逢うことが許される。感激し昂ぶるレオダマイアに夫は冥府の清浄で高尚な愛と美を語りながら諭す。しかし約束の時間は過ぎ、彼は妻の前から去る。影にすがり倒れるレオダマイアは息絶え、静穏な喜びに満ちた冥府とは別の世界へ──。曲は、詩から自由に発想された切れ目無く演奏される2章から成る。闘いを回想するたくましい男性(尺八)に控えめな女性(二十絃箏)が寄り添う1章、逆に箏が雄弁に語りはじめる2章では尺八が遠くから見守る。
2009年8月の「野村祐子 箏・三絃リサイタル」で、2章にあたる部分が〈尺八、箏、弦楽のための《緑の衣装を着たレオダマイア》〉として初演。今回は尺八がさらに活躍する1章(弦楽器の細かい分奏や管楽器の重音、特殊奏法など「かなりノイジーな音」を要求される)を加えた管弦楽版として書き直された。武満徹《ノヴェンバー・ステップス》など邦楽器と共演する先駆的作品の時代には管弦楽が邦楽器を邪魔せぬよう書かれていたが、時代も変わり邦楽器奏者の柔軟性も広がった現在、その可能性も生かす実験的な書法も随所で盛り込まれた。オーケストラは2管編成、チェレスタも邦楽器ソロに準ずるような重要な役割を果たすのも要注目だ。
★J.S.バッハ/野平一郎編曲:《ゴルトベルク変奏曲》
不眠に悩んでいた伯爵の所望で書かれた……という伝説を持つバッハの鍵盤独奏曲《ゴルトベルク変奏曲》。ソロ楽器からアンサンブル、管弦楽まで巧みな編曲も各種生まれてきたが、鬼才・野平一郎が編曲したこの新編曲(2010年11月19日のセントラル愛知響第109回定期演奏会で初演)ほどの〈創造的編曲〉はかつてなかっただろう。
冒頭の〈アリア〉に続き、そのバス主題に基づく30の変奏、最後にもう一度〈アリア〉が回帰して終わるという32のセクションからなる長大な変奏曲。がらりと雰囲気を変える第16変奏〈序曲〉を境に前半と後半がシンメトリックな構造を作っており、この組み立ては野平版でも変わらないが、齊藤いわく「《ゴルトベルク変奏曲》がタイムマシンに乗ったよう!」とはその通り。バッハから現代音楽にいたる様々な書法を駆使しながら〈現在・過去・未来〉を往還してゆく旅路なのだ。〈アリア〉は平穏にはじまるが……変奏に入ってしばらくすると「バロック風の世界から全然違う音の風景へ、凄く自然に移ってゆく」(齊藤)。以下変奏は数字のみで表記するが、何かが混信したように時空が柔らかくズレてゆく2でもう野平マジックの懐中だ。サクソフォン群も活用(7)した楽器法をはじめ、音色や手法の変化、伸縮する音型や調性の自由な飛翔など、いずれも滑らかな移行のうちに闖入しては別次元を拓く。メロディ群の関節を外すような相の手が入る8、調性も自由に飛翔する9、2/2拍子の原曲が4/5拍子などへ変わりリズムが奇妙に引き延ばされる10、弦のハーモニクスやチェレスタの響きが特徴的な11‥‥と自然な流れのうちにさりげなく素敵な奇想が盛り込まれては原曲の視野へ戻るあたりが絶妙。16〈フランス風序曲〉の豪壮を境にした後半でも類例のない楽器の巧みな組み合わせが多く、演奏者にも過酷が増す(29など極限だろう)。「この経験でオケの力が上がった」とは齊藤の感想だが、玉手箱を二重三重に空けてゆくような編曲は、バス主題の上に2つの民謡が重なる30〈クォドリベット〉で朗らかな音宇宙へ、そして最後に再び〈アリア〉で静かに旅を終える。……いや、昂揚の余韻から新たな旅が始まる、のか。
広島交響楽団
東日本大震災のため本フェスティバルへの来演を断念した昨年3月、広島交響楽団の無念たるやいかばかりだったろうか。あれから1年。ただならぬ思いと共に、広響が今度こそ来演する。人類史上初めて原爆により凄惨な被害を受けた広島は〈国際平和文化都市〉として核兵器廃絶を世界へ訴え続けてきた。広響も〈Music for Peace 音楽で平和を〉が活動方針。事務局も「平和の中に繁栄するのがオーケストラ。平和を訴えてゆくのも広響の大切な役割ですし、オーケストラは人間の心の豊かさにとって必要なのだと胸を張っていきたい」とはっきり語るこの楽団にとって、毎年8月の《平和の夕べコンサート》は大切な演奏会だ。──東京大空襲の日に《すみだ平和祈念コンサート》を新日本フィルと共に捧げ続けているすみだトリフォニーホールへ、いま、広響が平和文化都市を代表して、強い思いを込めて(本公演のためだけのプログラムを組んで)来演することには特別な重みがある。……秋山和慶とのコンビで充実にいよいよ磨きもかかる広響、プロ改組40周年を迎えて飛躍の未来へ歩みゆく楽団の心を、お聴きいただきたい。祈りのなかにも強く響くこの音楽が、魂の明日をひらくのだ。
★エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
《エニグマ(謎)変奏曲》や行進曲《威風堂々》などの成功を通して、英国を代表する作曲家となったエドワード・エルガー(1857〜1934)の創作には、1914年に勃発した第1次世界大戦が大きな影を落とした。疲弊し病に苦しんだ作曲家は、イングランド南部の森の薫りふかい別荘で療養しながら創作を続け、命ふきこまれるような穏やかで深い充実をみせていった。そのひとつが〈チェロ協奏曲〉(1918年)だ。手術を受けた直後に書き留めた主題から徐々に形をなしていったこの作品は、戦禍に翻弄された心の傷を森の歌が抱き留めたような傑作、なのかも知れない。広響の誇る多才な首席チェロ奏者スタンツェライトの明晰にして厚み美しい抒情も、繊細と大胆の交差する作品の魅力を明らかにしてくれるだろう。第1楽章、いきなりチェロ独奏の渋く重厚な和音から始まる協奏曲はすぐに8分の9拍子の柔らかい波のような流れをつくり、哀しみ深い情感がゆっくりと濃く歌われてゆく。……楽章冒頭の和音による動機が(今度はピツィカートで)再現されると、曲は切れ目なしに第2楽章へ。スケルツォにあたる急速な音楽のあいだ、独奏チェロは絶え間なく小気味良い速度で駆け続け、ときに伸びやかに歌い……軽妙に終わる。第3楽章は上行音型にこめられた歌心のたっぷりと美しいアダージョ。そして決然たる第4楽章へ。哀調つよい響きにも細やかな装飾音が独特の色を与えるなか、これまでの楽章の主題もここぞという場面で回帰しながら、音楽は全楽章の美しい円環を力強く閉じる。
★ブリテン:イギリス民謡組曲《過ぎ去りし時‥》 作品90
英国の作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913〜76)は72年に大きな心臓手術を受け、遂に完全な再起は叶わなかった。その療養中に書かれた晩年の作がこの組曲(74年)。生涯に多くの民謡編曲も遺した彼だが、この5曲ともイギリス民謡や舞曲から採られ……実に独創的なサウンドに生まれ変わっている。第1曲[美菓と美酒]のタイトルは〈浮世の楽しみ〉を含意、荒々しい生命力が聴き手を捉える。ハープも活躍する味わい深い第2曲[にがい柳]に続いて、第3曲[まぬけのハンキン]は元々クイーン・エリザベス・ホールの開場記念曲(67年)だが、管楽器とドラムの編成に広がる奇妙な調性感が浮世の歪みをみせるよう。弦楽器がこれまたユニークな第4曲[リスを追え]といい、前衛にはくみしなかったが尖鋭を好んだブリテンの才気煥発。最後の第5曲[メルボルン卿]では哀歌風の民謡(《エッピングの森》《メルボルン卿》による)が余韻の彼方へ遠ざかって感慨深い。
なお、副題は作曲家が愛読したハーディの詩《生のまえ生のあと》(Before Life and After)による。傑作歌曲集《冬の言葉》(53年)最終曲として作曲もされているが、「意識の誕生より前には/万事うまく運んだ時代もあった」と、〈意識〉ゆえに感じられるこの世の痛みや苦しみを逆説的にうたう、その冒頭 "A time there was ──" (……時代もあった)を採ったものだ(《過ぎ去りし時‥》は意訳)。詩の痛切な皮肉は、この曲にもこだましているだろうか。ちなみに詩の最後はこうだ。「(略)どんな崩壊や苦難が/ものごとを滅ぼそうとも/誰ひとり気にしなかった/(略)けれども、感じる、という病が生まれ/原初の正しさは悪の色を帯びたのだ/無知がふたたび世にあらわれるまで/どれほどかかる? どれほど?」
★ブリテン:《シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)》 作品20
英国にも大戦の危機が迫る1939年4月、人間関係の清算もかねてアメリカへ渡った若きブリテンは、9月に勃発した第2次大戦で帰国できなくなってしまう。窮地に立った彼にその時、遥か海の向こうから委嘱があった。神武天皇即位から2600年を祝う昭和15(1940)年の記念行事のため、日本政府が世界の作曲家5人へ新作を依頼した中に加えられたのだ。R.シュトラウス、イベールなどが新曲を書くなか、病気で寝込んだり、遅々として進まなかったブリテンの新曲は……亡くなった両親への追悼の想いこめて《シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)》と題されていた。これが「皇室の祝典にレクイエムとはなにごとか!」と烈しい騒動を巻き起こす。政府は演奏を拒否、太平洋戦争の勃発で日本初演は封印された。これは反戦主義者ブリテンの反骨精神だとか、間に合わずやむなくだとか諸説紛々、41年にニューヨークで初演されたこの曲が日本で演奏されたのは、56年のブリテン来日時のことだった(ちなみに、このアジア歴訪をきっかけにブリテンはマラヤ連邦[現在のマレーシアとシンガポール]からの委嘱で国歌を書くが採用拒否に遭う。東洋の国家委嘱との相性は悪かった)。
悲嘆と緊張、苦悩と安息を20分ほどの演奏時間に凝縮してみせた傑作はアルト・サクソフォンを含む3管編成を動員、確かに祝典向きとは言いかねる凄まじさだ。強烈な打撃で始まる第1楽章[涙の日(ラクリモサ)]は、作曲者いわく緩やかな行進曲風の挽歌。8分の6拍子の流れに特徴的なシンコペーションなど引きずるような音楽が重く展開し、昂揚の果てに静まると、続けて第2楽章[怒りの日(ディエス・イレ)]へ。フルート群の不気味なトレモロと弦楽器が風雲急を告げると、音楽は不気味な "死の踊り" を駆けてゆく。壮絶な音楽も激しく叩き付けられるうちに崩れおち……切れ目なく第3楽章[永遠の安息を(レクイエム・エテルナム)]へ。作曲の経緯はともかく、作曲家の意識を染めていたであろう迫り来る戦禍と、死と生への洞察を聴くことは、間違いではあるまい。
──この曲が書かれて間もない1940年11月、英国の歴史ある街コヴェントリーはドイツ軍による猛攻を受け大火の中に崩れ落ちた(独軍の作戦コードネームが《月光ソナタ》だったことも記憶しておくべきだろう)。戦後、この街の大聖堂再建を機に初演されたブリテンふたつめの鎮魂曲が、かの大作《戦争レクイエム》(1962年初演)だ。
山野雄大(やまのたけひろ/音楽ライター)